冬本番に思うこと
 
◆一年中、きのこはある
 きのこに興味を持ち始めた頃、そして、勧められて当HPを始めた頃、とにかくきのこの姿を見たい一心で四季を問わず野山を歩き回った。その頃は「一年中、きのこはある」と豪語していたし、事実、真冬でもいろんなきのこを見つけてはHPにアップしてきた。ポピュラーなヒラタケやエノキタケをはじめ、キヒラタケやマツカサキノコモドキ、センボンクヌギタケなどは、冬にこそ最も美しい姿が見られる「冬きのこ」だ。雪をかぶったそれらの写真は、私が求める「らしい」シーンの最たるものと言える。

◆「歳をとる」ということ
 南関東(神奈川県)で更新し続けた10年。そして、定年を迎えて奈良へ帰郷してから早くも9年目。その20年近くの歳月を振り返ってみると、確かに夏の猛暑と冬の寒さが年々厳しくなってきている。と同時に、私自身も20年の歳を重ねた結果、体のあちこちが変調をきたし始めてきた。最近では何か事あるごとに「歳をとる」というのはこういうことかと、嘆きあきれる次第だ。近ごろは、先進医療のおかげで様々な「老い」にも歯止めがかかるようになってきた。とてもありがたいことだが、持病の肺疾患のように有効な治療法がない病気もあり、ただ経過を観察するというもどかしさは患者のみならず医者も感じているに違いない。喫煙経験者には多くの発症予備軍がいるらしいので、少しでも早い治療法の開発が待たれる。

◆楽しければこそ
 今年(2019年)も穏やかに年が明けた。そして早くも2月の中旬となったが、この冬は雨も雪も少なくて野山はカラカラに乾き切っている。週末になれば「今日はどこへ行こうか・・・」と、窓から外を眺めて天気などを確かめる。遠くに「ごみ焼却炉」の煙突が見え、そこからわき出る煙(水蒸気?)が低く真南に向かってたなびいている。つまりこれは「冷たい北風が強い」という証しであり、一気に出かける気力を萎えさせてしまう。
 そもそも、今までかなりの悪天候でも出かけて行ったのは、きっとどこかに素晴らしいきのこがあるに違いないと思うからで、それを見つけ出す「楽しみ」というものがそこにはあった。最近は歳をとったことに加えて、この「冬枯れ」という現実が「楽しみ」をかき消してしまっている。「きっとどこかに」ではなく「きっとどこにも」と思うようになってしまった。

◆春になれば
 あとひと月もすれば季節がめぐり、虫がうごめき、鳥がさえずり、草花が命を吹きかえすに違いない。温かい雨が大地を潤し、地下の菌糸が目を覚まし始める頃、また私の心に「きっとどこかに」という思いがよみがえってくるだろう。それまでは「楽しい」と感じないことをあえて実行するのはやめることにする。そしてその頃になれば、週末に限らず天気の機嫌を見ながら出かけることもできるようになっているはずなので、なるべく「楽しい」更新を続けていきたいと考えている。

2019.2.11   竹 しんじ

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